Tommy Pham
「ラスベガスの砂漠から8年かけてたどり着いたメジャーの舞台——ベトナム系アメリカ人外野手トミー・ファムという人物」
トミー・ファムは20代の大半を、角膜が徐々に円錐形に変形する進行性疾患と闘いながらマイナーリーグでプレーし続けた——その文脈を知らずに彼の打率だけを見ることは、物語の半分しか読んでいないに等しい。
2026年現在、38歳でAAAに籍を置くファムの存在は、「もう一度だけ」という執念がいかに長く人を動かしうるかを静かに問いかけている。多くの選手がユニフォームを脱ぐ年齢で、なおフィールドに立ち続けるという選択そのものが、今この瞬間の彼を語っている。
彼がベトナム系アメリカ人であること、そして野球の伝統都市とはまったく異なる文化圏——ラスベガス——の出身であることは、そのキャリアを理解する上で欠かせない背景だが、試合中継ではほとんど語られない。
ラスベガスは野球の街ではない。カジノと観光業で知られるこの砂漠の都市には、1970年代以降に南ベトナムから渡ってきた難民の子孫たちが根を張るコミュニティが存在する。ファムが育ったのは、その文化圏だ。「どこから来たか」がアイデンティティに深く刻まれるアメリカ社会において、ネオンの街で育ったベトナム系の少年がMLBを目指したという事実は、日本のファンが彼のユニフォーム姿から想像するよりも、はるかに多くの意味を帯びている。
ファムが公の場で何度も語ってきた円錐角膜(keratoconus)の診断は、単なる「感動の逆境話」以上の意味がある。特殊なコンタクトレンズなしではプレーできない状態で8年間マイナーリーグを生き抜いたという事実は、「なぜ彼の発言はいつもこれほど率直なのか」という問いへの一つの答えでもある——失いかけた何かを知る人間の言葉は、おのずと削ぎ落とされたものになる。
ネバダ州ラスベガス生まれのトミー・ファム(1988年生)は、ベトナム系アメリカ人の外野手。2006年のドラフト指名から2014年のMLBデビューまで8年以上をマイナーリーグで費やした。進行性の角膜疾患(円錐角膜)による視力障害という、大半の選手が経験しない試練を越えた末にメジャーの舞台に立った彼のキャリアは、成績欄には収まらない物語を持つ。2026年現在、38歳でノーフォーク・タイズ(AAA)に在籍し、なおプロとしての日々を続けている。
砂漠の街から始まった旅
トミー・ファムが生まれた1988年のラスベガスは、すでにカジノとショービジネスで知られる都市だった。セントルイス、シンシナティ、テキサス——MLBの伝統が根付いた都市とは地理的にも文化的にも遠い場所で育ったファムが、2006年のドラフトでセントルイス・カーディナルスに指名された時点では、彼のMLBへの道のりがこれほど長くなることを予想した者は少なかっただろう。ラスベガスには1970年代以降の南ベトナム難民の定住により、アメリカ有数のベトナム系コミュニティが形成されてきた。ファムはその文脈の中で育った選手であり、「どこ出身か」という問いが単なる地名以上の意味を持つアメリカ社会において、彼のバックグラウンドはキャリア全体の色合いを決定づけている。
見えなくなりかけた世界
ファムのマイナーリーグ時代を語る上で、円錐角膜(keratoconus)の診断は避けて通れない。角膜が徐々に薄くなり円錐形に変形するこの進行性疾患は、矯正なしでは正常な視力を維持できなくなるもので、スポーツ選手にとっては選手生命を直接脅かす障壁となりうる。ファムは特殊な強膜コンタクトレンズを使用しながら長年プレーを続けてきたことが広く知られており、このことは「なぜ8年もかかったのか」という問いへの部分的な答えでもある。眼という、外野手にとって最も根本的な道具が危うかった——その状況でなおプレーを続けたという事実は、スコアシートには一切現れない。
日本のプロ野球では1軍・2軍の二層構造が基本だが、MLBのマイナーリーグはAAA(最上位)・AA・A+・A・ルーキーリーグと複数の段階に分かれている。AAAはMLB直下の最高峰で、昇格を待つ有望株や、メジャー経験者が調整のために送り込まれる場でもある。ファムが2006年から2014年にかけて過ごした8年間のマイナーリーグは、日本でいえば「ファームでの長い日々」に近いが、その施設環境や待遇は球団によって大きく異なり、選手が日々の生活費を自力でやりくりするケースも珍しくない。
8年間という時間の意味
2006年のドラフト指名から、2014年9月9日のMLBデビューまで。8年以上。多くの選手にとって、この年数はプロキャリア全体に相当する。ファムにとってのマイナーリーグは、単なる「下積み期間」ではなく、眼の治療と競技の両立、昇格と降格の繰り返し、そして何度も突きつけられた「続けるか、諦めるか」という選択の蓄積だった。26歳でのMLBデビューは、平均的な選手より数年遅い。しかしその遅さは欠落ではなく、堆積した時間の密度として彼のキャリアに刻まれている。日本のプロ野球では1軍と2軍の二層構造が基本だが、アメリカのマイナーリーグはAAA・AA・A+・A・ルーキーと複数の層に分かれており、ファムはその長い階梯を一段ずつ、時に降りながら登り続けた。
率直さという個性
ファムはメディアに対して歯に衣着せぬコメントを残すことで知られており、試合内容、契約交渉、チームの方向性について自分の見解を公言することをためらわない。アメリカのスポーツ文化において「クラブハウス・リーダー」という表現は、単に試合中に声をかけるだけでなく、チームの内部文化を形成し、時に問題を表面化させる役割を担う存在を指す。調和を重んじる文化圏で育った日本のファンには、ファムのような率直さが時に「問題児」と映るかもしれない。しかしアメリカの野球文化においては、「本音を言う人間」は——それがいかに不都合であっても——一種の信頼を勝ち取ることがある。彼の発言のスタイルは、何かを失いかけた経験が人の言葉をどう変えるかを、静かに示しているようでもある。
38歳、まだフィールドに立つ理由
2026年現在、ファムはニューヨーク・メッツのAAA傘下球団、ノーフォーク・タイズに在籍している。38歳のプロ野球選手がAAAでプレーするという事実は、二つの解釈を許す。一つは、かつてメジャーで輝きを放ったキャリアの終盤における、静かで個人的な闘い。もう一つは、諦めるという選択をまだしていない男の、現在進行形の物語。外野の守備範囲も、打球への反応速度も、年齢とともに変化する。しかしフィールドに立ち続けるという意志は変数ではなく定数として、少なくともこの瞬間も彼の中に存在している。数字は彼が何者であったかを教えてくれる。フィールドに立ち続けるという選択が、彼が何者であるかを語っている。
ベトナム系アメリカ人のMLB選手は歴史的に少なく、ファムはその中でも最も長期にわたってメジャーでプレーした選手の一人として位置づけられる。1975年以降、南ベトナム崩壊に伴って多くの難民がアメリカへ渡り、カリフォルニア州やネバダ州を中心に定住した。ラスベガスもその受け入れ先の一つであり、ファムはその歴史的文脈の中に育った選手だ。MLBのロースターにおいて、ベトナム系アメリカ人の選手が存在すること自体が、アメリカの移民の歴史の一断面を映している。
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